尚絅学院大学

人文社会学類 お知らせ

SDGsコラム 目標17 パートナーシップで目標を達成しよう

2023/03/22

マニラのチャイナタウンの道場で学んだこと(永澤 雄治)

 1995年の12月、私はフィリピンの首都マニラに滞在していた。滞在の目的は、日本政府が東南アジアで実施していたODA(政府開発援助)・教育プロジェクトの調査であり、現地のJICA(現日本国際協力機構)事務所に勤務する青年海外協力隊・調整員と共に、JICAが支援する教育施設を訪問していた。そんな中、調整員の青年が中国拳法道場に通っているという話を聞き、彼の道場を見学させてもらうことになった。マニラのチャイナタウンにある道場は、老朽化した建物の2階にあった。急で狭い木製の階段を「ギシギシ」ときしませながら上がると、道場には初老の男性と12、3歳くらいの男の子がいるだけだった。この初老の男性は、ポロシャツに短パンという軽装で椅子に座っていた。男の子は、トレーニングパンツをはいていたが上半身は裸で、ゴム製のパンチバッグに抱きつきながら歌を唄っていた。

 このポロシャツ姿の男性が道場の先生であった。青年は私をこの先生に紹介してくれ、快く見学が許された。着替えを済ませた青年は、一人で黙々と型の稽古を開始した。腰を深く落とした中国拳法の構えを基本として、腕と下半身を使いながらの移動稽古だった。この段階でも、先生は椅子から立ち上がりもせず眺めているだけだった。私が話しかけるとニコッと笑ってくれた男の子は、相変わらず「ゴムバック」に抱きついて歌を唄っていた。先生は時折、青年を呼び、幾つかの助言を与えた。練習生は黙々と一人で稽古に励み、先生はたまにアドバイスをするというのがこの道場のスタイルのようだった。最後に先生は椅子から立ち上がり、遊ぶのにも飽きた男の子を呼んで、3人で演武を見せてくれた。

 私は先生に御礼を伝え、男の子に声をかけてから道場を後にしたが、このような稽古のありように、私は少なからずショックを受けた。それまで日本で体験していた道場での稽古は、同じ動き(型)を練習生全員で一斉に行うというものであった。それに比べ、マニラのチャイナタウンの道場はなんと自由なことだろう。稽古をしたい者が自発的にやり、教える側はその時々で必要な助言を与えるという関係が素晴らしかった。教育や学習とは、本来このような形態で行われるべきものなんだろう。国際協力の本質は、「支援する側とされる側」の立場を超えた相互学習体験にあるのかもしれない。