尚絅学院大学

大学概要

建学の精神と校名の由来

本学の教育は、1892年9月、米国バプテスト派婦人外国伝道協会から遣わされた、ミス・ミードを初めとする女性宣教師たちによる地道な伝道活動の中からはじまった。それは、キリスト教の信仰と女性の教養を授ける普通科と伝道婦人養成のための聖書科をそなえた「尚絅女学会」と称する生徒数9名での出発だった。

校名となった「尚絅」は中国の「礼記」の編章である「中庸」の一節、「詩曰、衣錦尚絅、悪其文著也、故君子之道、闇然而日章、小人之道、的然而日亡」から選ばれたもので、簡野道明著、「中庸解義」につぎのように解説されている。
詩に曰く、錦の衣(きもの)着(き)ては、其の上に粗布の打掛(うちかけ)を加えること。これは錦の衣の文采模様が餘りにハッキリと外に著(あらわ)れるのを悪(にく)むからである。古人の心を用いることの奥床しくて文飾(ぶんしょく)を事としないことは此の如くである。それ故に君子の学問の道は譬(たと)へば絅(けい)を加へて衣(き)るが如くに専ら己の為にして人に知られることを求めない。それであるから表面から見れば闇然と暗く韜(つつ)んでゐるやうであるけれども、譬(たと)へば錦を衣るが如くに美しい徳が内に充実して居るので自(おのずか)ら日日に其の章明(あきらか)となるのを見る。小人は之に反して、専ら努めて人の為にし、止(ただ)人に知られたいことを求めるが故に、始めは、的然と明かに外に表はれるが根柢(こんてい)がないので日日に其の箔(はく)がはげて消え亡(う)せるようになる。

建学の精神をあらわす聖句は、後にミス・ブゼルによって新約聖書ペトロの手紙一第3章3節・4節が校名に照引され選ばれた。「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

校章

1902年(明治35年)尚絅女学院に制定された梅の花の中に、「絅」の字をおいたものに「大学」の字を左肩にあしらってつくられたもので、短期大学の設置と同時(昭和25年)に制定した。梅の花は寒冷をしのいで開花し、良い香りをはなつという日本女性の美徳の象徴とされていたところから、梅の花を配した校章になったものである。