建学の精神
尚絅学院は、1892年アメリカ合衆国のバプテスト派婦人外国伝道協会から派遣された女性宣教師たちによって、キリスト教教育のための「尚綗女学会」として創設された。創設者の宣教師たちの思いである、「キリスト教精神に基づく教育によって、自己を深め、他者と共に生きる人間を育てる」を尚絅学院の建学の精神として、これまで守り、継承してきた。
学校名の由来と意味
校名となった「尚絅」は中国の「礼記」の編章である「中庸」の一節、「詩曰、衣錦尚絅、悪其文著也、故君子之道、闇然而日章、小人之道、的然而日亡」から選ばれたもので、簡野道明著、「中庸解義」に以下のように解説されている。
詩に曰く、錦の衣(きもの)着(き)ては、其の上に粗布の打掛(うちかけ)を加えること。これは錦の衣の文采模様が餘りにハッキリと外に著(あらわ)れるのを悪(にく)むからである。古人の心を用いることの奥床しくて文飾(ぶんしょく)を事としないことは此の如くである。それ故に君子の学問の道は譬(たと)へば絅(けい)を加へて衣(き)るが如くに専ら己の為にして人に知られることを求めない。それであるから表面から見れば闇然と暗く韜(つつ)んでゐるやうであるけれども、譬(たと)へば錦を衣るが如くに美しい徳が内に充実して居るので自(おのずか)ら日日に其の章明(あきらか)となるのを見る。小人は之に反して、専ら努めて人の為にし、止(ただ)人に知られたいことを求めるが故に、始めは、的然と明かに外に表はれるが根柢(こんてい)がないので日日に其の箔(はく)がはげて消え亡(う)せるようになる。
建学の精神をあらわす聖句は、後にミス・ブゼルによって新約聖書ペトロの手紙一第3章3節・4節が校名に照引され選ばれた。「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」
校章
校章は創立十周年にあたる1902(明治35)年に制定された。モチーフになったのは梅の花である。厳しい寒さを凌いで開花し、やがて芳しい香りを放つ梅の花は、中国の故事にも記されているように勉学の精神の象徴ともされている。この中に、梅の花に建学の精神との共通性を見出し、梅の花の形にも似た「尚」の字の中に「絅」の字をあしらってデザインしたものが、現在まで受け継がれている校章である。
第二次世界大戦後、短期大学の設置と同時に、左肩に「大学」の字を配した校章が加わり、現在に至っている。