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【書評】島薗進先生「宗教の名著巡礼──正田倫顕『ゴッホの宇宙』」(4)

2026/06/18

 宗教学の碩学・島薗進先生(東京大学名誉教授)による正田倫顕著『ゴッホの宇宙』(教文館)の書評が公にされました。
 「宗教の名著巡礼」という連載で、「ゴッホ作品はなぜ見る者の心をつかみ揺さぶるのか(4)──正田倫顕『ゴッホの宇宙』教文館、2025年──」と題して、ご論考の第四回目を執筆されています。
 正田倫顕先生ゴッホ研究に触発され、島薗進先生の思索はゴッホと星空の関係へと展開していきます。是非お読み下さい!
島薗進先生「宗教の名著巡礼」

島薗進先生「宗教の名著巡礼」

島薗進先生「宗教の名著巡礼」

 以下にその一部を引用させて頂きます。
 「この連載では、正田倫顕氏の2冊の著作触発されてゴッホの宗教性について論じており、今回が4回目となる。3回目にはやや寄り道をして、ゴッホと宮沢賢治の関係、両者の似ているところなどについて述べた。とくに父との葛藤伝統宗教との葛藤という点で両者に大いにつながりがあることに触発されて調べてきた。そして、実際、賢治ゴッホから大きなインピレーションを受けた可能性があることを知り、両者の響き合うところについて述べることとなった」。

 「しかし、宮沢賢治への寄り道はここまででとどめ、今度はゴッホの最晩年、糸杉についてよく知られた作品をいくつか残していること、それらはまた星月夜をめぐる作品とも重なりあっていることに関心を向ける。そして、それらの作品から何が見えてくるのかについて、主に正田氏の2冊目の著書、『ゴッホの宇宙』に学びつつ考えを進めていきたい。主に同書の第三章「《星月夜》の宇宙」に導かれながら、死を前にした時期(36歳から37歳にかけて)のゴッホの宗教性について考えていきたい」。

正田倫顕『ゴッホと〈聖なるもの〉』、『ゴッホの宇宙』

正田倫顕『ゴッホと〈聖なるもの〉』、『ゴッホの宇宙』

 「ゴッホがパリからアルルに向かったのは1888年2月のことだ。その後もゴッホ(フィンセント)の生活を支えてくれた、弟で画商だったテオとのパリでの2年間の生活が耐え難いものになったようだ。地中海沿岸地域の光あふれるアルルで、ゴッホは芸術家共同体の建設という夢を実現しようとした。明るく自然に恵まれ、浮世絵を作った「日本」に類するものがそこにあると考えたりしたようだ。そして、ゴーギャンの到来を待ちながら「黄色い家」に住み、ひまわりの絵をいくつも描き続けたりした。

 それがどのような意味をもっているのかについて、『ゴッホの宇宙』第二章「ゴッホの《ひまわり》」の論述からも最小限、引いておかないわけにはいかない。正田氏はゴッホの描くひまわりを次のような言葉で表現している。


 花々は背後から照らされながら、こちらを照らし出してもいる。光に貫かれるだけでなく、自ら発光体となっている。ここでは能動と受動、隆盛と衰退、生と死が一体である。実のところ、これらのひまわりはもはやわれわれが通常の感覚で認識する月並みな植物ではない。むしろ光の結晶化した存在になっている。ゴッホはひまわりを描きながら、ひまわりをこえたものまでを表わしてしまったのではないか。それは尋常ならざる光であり、過剰なまでの明るさであり、端的にいのちそのものである。根源的なエネルギーが前面に出てきて、ひまわりをひまわりたらしめているのだ(100ページ)」。

ゴッホ《ひまわり》

ゴッホ《ひまわり》

 「ゴッホのひまわりが、ゴッホにとっての「日本」と通じるものだったという点についても、正田氏の叙述を引いておきたい。

 ゴッホは「日本人」のことを評する際、「まるで自分自身が花であるかのように自然の中で生きる」と述べていた。彼もまた「自分自身が花であるかのように」、いやもっと正確に言えば「自分自身が花になって」ひまわりを描いたのではないか。本来、何かを描くとは何かになりきること。花を向こう側にある外部の対象として捉えているだけでは、その本質は描けないだろう。ひまわりと画家の間にある隔たりが消えなければならない。そのためには自分がひまわりを描いているという余計なはからいがなくなる必要があるだろう。ここではゴッホがひまわりを捉えたのではなく、ひまわりがゴッホを把捉してしまったのではないか。(104ページ)

 ゴッホが集中して描き続けたひまわり(向日葵)についての正田氏の捉え方は以上のようなもので、日本語の「無我」とか「無心」とか「自他不二」というような言葉を思い起こさせるものだ。正田氏が述べるようなこの作品の特徴を、私自身必ずしも「よく理解できた」とか「納得した」と言えるものではない。しかし、ゴッホがアルルに着いてから半年ほど後の時期、88年夏から89年初めにかけてのゴッホの絵画作品の向日的な一面その背後の宗教性をよく表しているように感じる」。

ゴッホ《ローヌ川の星月夜》

ゴッホ《ローヌ川の星月夜》

 「ゴッホが星空を描くようになったのはアルルに来てからで、すでに1888年の4月の友人のベルナール宛の手紙には、「ぼくはまた糸杉のある星月夜を描く必要がある」と述べていたことを正田氏は指摘している。正田氏はゴッホが尊敬していた先輩画家や同時代の画家たち「夜」を描いた作品にも注意を促している。とくにミレーの影響が大きかった可能性があるとしている。実際、ミレーの《星月夜》を見た可能性があるという」。

 「加えて正田氏が注目するのは、《ローヌ川の星月夜》北斗七星つまり大熊座の一部が描き込まれていることである。


 《ローヌ川の星月夜》は堤の上から、南西に広がる夜景を見渡して作られた。ゴッホはその夜空に北斗七星つまり大熊座の一部を描いている。しかしよく考えてみれば、いやよく考えるまでもなく、この星座は南の空には絶対に見えないものである。大熊座は本来、北の空すなわちゴッホの背後にあって、南西を向く画家の視界には入ってこない。現実に忠実であろうとすれば、画中に描くべきではないのだ。ところが不思議なことに、彼は南の実景北の空を画面の中で一つに縒り合わせている。何故このように作為的なことをしたのだろうか(同、136ページ)」。

 「ゴッホ現実に目の前に見えるものを描くタイプの画家だが、パリでゴーギャンベルナールと接触することで、想像や記憶で描くことにも取り組むようになった。この場合、ゴッホは「敬愛するミレーの《星月夜》も想起していたのではないか。ミレーが一目で分るオリオン座を夜空に描いたように、誰もが判別できる北斗七星を天空に描いたのだろう。ただその場所は北ではなく、南の空であった」(同、137ページ)」。

 「それは何故か、夜空を見上げれば、あらゆる星はいつも北極星を中心に回転している。北は星空の中心軸とも言える場所なのだ。存在の根拠や根源を探究し続ける宗教的人間には軸の位置が何よりも重要に思えたのではないか。だからこそ北の空を代表する大熊座を選び、南を描いた夜景に導入したのだろう。また眼前の実景逆方向の空を組み合わせることで、一方向ではなく全方位を象徴的に表わしたのではないか(同前)」。

 「《星月夜》と同時期の夜空と星を描いた作品には、「宗教」をめぐるゴッホの想念が込められていたと正田氏は捉えている。では、この「宗教」とは何だったのか。次回はその問いから、『ゴッホの宇宙』に触発された考察をさらに先へと進めていきたい」。

 是非、島薗先生のご論考の全文をお読み下さい!
 島薗進先生「宗教の名著巡礼」


島薗 進先生
1948年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文社会系研究科教授、上智大学大学院実践宗教学研究科教授、同大学グリーフケア研究所所長を経て、現在、NPO法人東京自由大学学長。NHK「こころの時代」、「こころをよむ」など出演多数。

著書に『現代宗教の可能性』『スピリチュアリティの興隆』『日本仏教の社会倫理』『戦後日本と国家神道』(岩波書店)、『新宗教を問う』『宗教学の名著30』(筑摩書房)、『ポストモダンの新宗教』『精神世界のゆくえ』(法藏館)、『現代救済宗教論』(青弓社)、『明治大帝の誕生』(春秋社)、『宗教を物語でほどく アンデルセンから遠藤周作へ』『宗教のきほん なぜ「救い」を求めるのか』『死に向き合って生きる』(NHK出版)など多数。

島薗進先生

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