尚絅学院大学

臨床心理相談室(ティクヴァ)からのお知らせ

3月 ティクバ便り

2022/03/31

みなさん、こんにちは。

臨床心理相談室の川端です。ティクバ便りの執筆は今回が2回目となります。
前回に担当したのが2019年の12月ですから、ずいぶん久しぶりになります。月日がすぎるのは早いですね。

 

みなさん、毎日をどんなふうに過ごしておられますか?
新型コロナウィルスの第6波がようやく落ち着いてきたかと思ったら、今度はウクライナで戦争が始まりと、なかなか平穏な日常は戻ってきません。こうした状況では、ついつい、愚痴が出てしまうことも多いのではないでしょうか。僕もブツブツつぶやいては、よく妻や同僚に嫌な顔をされています。
「愚痴」や「ぼやき」などというと、良いイメージはなく、なんとなく慎まなければいけないことと考えがちです。しかし、実は、愚痴やぼやきには、精神衛生上それなりの意義があるとも考えられるのです。

今回のティクバ便りでは、「愚痴ること」、「ぼやくこと」のもつ意味を、臨床心理学から考えてみたいと思います。


世の中や身の回りのネガティブなことを目にすると、悲観的な気持ちに陥ってしまいがちです。
具体的に対処したり改善できることならまだしも、国と国との戦争などの場合、私たちができることは限られています。そこまででなくても、仕事に関することや対人関係など、自分の力ではどうしようもないことは、たくさんあります。
そうしたことを真面目に考えていると、「世界の未来は暗いな。は〜」など、どんどん負のスパイラルにはまっていきかねません。かといって、不快な出来事から目を逸らそうと、ゲームやビデオに過度に熱中したり、お酒に浸ったりするのも、不健康になったり、社会生活に不都合を生じたりして、うまくありません。
わたしたちは、小さな力ではあっても、できることには取り組んでいくという、現実的な姿勢も維持しなければなりません。

そもそも、人間の心には、意識すると不快になるような出来事を意識しなくしたりすることで、心に過重な負担がかからないようにする仕組みがあります。これを心理学では、「防衛機制」と呼んだりします。普段は、この仕組みがうまく働いて、私たちは嫌なことは「適度に」忘れたり、気にしないようにして日々生活することができています。

ところが、ストレスが強すぎたり、問題が大きすぎたりすると、防衛機制がうまく働かず、気になることが頭から離れなくなったりして、日常生活に支障をきたすようになることがあります。また逆に、自分を守ろうとする傾向が過剰だったりすると、防衛機制が働きすぎて、大事なことをポッカリ忘れたりなど、抑えた不安や心配が別の形の問題として現れることで、生活に支障をきたすことがあります。


それでは、こうした問題にどう対処したら良いのでしょうか。

色々な対処法があると思いますが、誰にでもできるささやかな方法として、愚痴ること、ぼやくことがあります。
「えっ、そんなんでいいの?」と思う方もおられるかもしれませんが、適度に愚痴ったりぼやいたりすることは、心の健康の保持にそれなりの効果があります。みなさんも、友達に愚痴ったりぼやいたりして、すっきりしたり、なんとなく気が軽くなったりしたことはありませんか。誰かに、「あ〜、世の中、本当に辛いことばかりだねえ。」とか、「○○のこと(心配な内容)が気になるけど、とりあえず仕事行かなきゃね。」など吐き出すことは、それを受け止めてくれる人がいるという点でサポーティブなだけでなく、不安なことや気になることがあることを意識しつつ、生きていくために必要な現実の要請もしっかり認識するという、真っ当なスタンスの現れでもあるのです。
気負いすぎず、でもへこたれずというところでしょうか。トボトボと、でも着実にというところがポイントです。

みなさんも、つらいことがあったときには、あまり頑張りすぎず、誰かに愚痴ったり、ぼやいたりしてみてはどうでしょうか。まあ、あまりやりすぎるのも良くないので、これも程々が大切ですが。

                            (川端 壮康)