【学校教育学類】「読めるのに見えない」と格闘する
2025/11/17
次の(1)と(2)の文章は、二人の作家の小説の一節です。二つの文章から受ける印象に、どのような違いがあるでしょうか。
(1)
彼の家は表が六畳、裏が三畳、それに土間の台所、それだけの家だった。畳や障子は新しくしたが、壁は傷だらけだった。彼は町から美しい更紗の布を買ってきて、そのきたない所を隠した。それで隠しきれない小さな傷は造花の材料にする繻子の木の葉をピンで留めて隠した。兎に角、家は安普請で、瓦斯ストーヴと瓦斯のカンテキとを一緒に焚けば狭いだけに八十度までは温める事が出来たが、それを消すと直ぐ冷えて了う。寒い風の吹く夜などには二枚続きの毛布を二枚障子の内側につるして、戸外からの寒さを防いだ。畳は表は新しかったが、台が波打っているので、うっかり坐りを見ずに平ったい薤の瓶を置くと、倒した。其上畳と畳の間がすいていて、其所から風を吹き上げるので、彼は読みかけの雑誌を読んだ所から、千切り千切り、それを巻いて小箸で其隙へ押込んだ。(志賀直哉『暗夜行路』より)
(2)
彼の住んで居る家――日本橋の八丁堀の、せせこましい路次の裏長屋にある此の二階の一室には、西の窓から望まれるあの壮快な空を除いて、外に何一つ美感を起こさせる物はないのである。四畳半の畳と云い、押入れの襖と云い、牢獄の監房に似た壁と云い、四方を仕切って居る凡べての平面が、駄菓子を貪るいたづらッ子の頬っぺたのように垢でよごれて、天井の低い、息苦しい室内に一年中鬱積している湿っぽい悪臭は、其処に起居する人間の骨の髄まで腐らせそうに蒸し暑く匂って居る。若し此の部屋にたった一つしかない彼の窓から、僅かにもせよ蒼穹の一部分が見えなかったら、章三郎はとうに気が狂って死にはしなかったかと危ぶまれる。どう考えても、此れが万物の霊長を以て誇って居る高尚な生物の棲息する所とは信ぜられなかった。(谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』より)
どちらも家の様子を描写している文章で、文字数もおおよそ同じですが、その文章の内実にはかなりの違いがあります。一読した限りでは、(1)は何となく冷たい感じのする、切れ味鋭い文章だなとか、(2)は何となく読みづらく、鬱々とした感情が強い文章だな、といった感想になるのではないでしょうか。
では、そのような文章から受ける印象の違いは、どのようなところから生まれてくるのでしょうか。よく見ると、志賀の文は短くて構造の単純なものが多いのに対し、谷崎の文は長くて構造の複雑なものが多いことに気付きます。また、志賀は人物の動作や事柄を主体にして、主観的な感情のこもった描写を避けているのに対し、谷崎は比喩を多用して感覚的な感情の込められた表現を多く使用しているのです。波多野完治『文章心理学入門』(1953、新潮社)では、次のように整理しています。
| 志賀直哉 | 谷崎純一郎 | |
| 文の長さ | 短い | 長い |
| 句読点 | 少ない | 一文章の中に多い |
| 品詞 | 名詞が多い | 動詞が多い |
| 文の種類 | 重文が多い | 複文が多い |
| 修飾句 | 修飾句が少ない | 形容的修飾句が多い |
しかし、この「○○さんっぽい」というのが実に曲者です。雰囲気としては分かるのだけれど、説明しろと言われると難しいことがほとんどです。このような書き手一人ひとりの文章の個性は「文体」と呼ばれており、私はこの文体を捉える手法を、国語科の読むことや書くことの授業に援用していくことができるように研究しています。
後期の「国文学演習Ⅱ(近現代)」の授業では、受講生が作家と作品を選び、文体に関わるテーマを立て、分析して発表する活動を行っています。この授業では「テキストマイニングツール」と呼ばれるツールを使用します。このツールを使用することで、作品中に使用されている語句の品詞や、各語句の使用回数が分かります。また、AIによる場面ごとの感情分析の結果も出てくるので、表示された結果を自分のテーマと照らし合わせながら再度作品にあたり、考察を深めていきます。読んだ感じでは悲しい場面だったのに、AIは怒りの感情が多いと判定した…なぜだろう? この場面にだけ、やたら集中して使用される形容詞がある…場面の印象にどのような影響があるだろう? 等、常に疑問をもって受講生は考察を進め、分かったことを30分で発表します。
分析結果と考察を発表する
発表が終わると、30分の検討会に入ります。発表者の分析と考察は妥当だったのか、互いに厳しい目をもって検討します。質疑応答では学会さながら、発表者が返答に窮するような鋭い質問も飛び出します。
高校までの国語科の授業では、小説等の作品を読むことというと、教師の発問によって特定の箇所について考える、テストでは傍線が引かれている部分の人物の心情や解釈を答える、という、どちらかといえば受け身の姿勢で作品を読むことが多いのではないでしょうか。この授業では、自分でテーマを決め、ツールを活用しながら自分なりの答えを出していくという、主体的な作品への関わり方が重要となります。発表を終えた学生は緊張感から解放されてぐったりする者がほとんど。ただ、その姿は、それだけしっかり作品に向き合い、「これでいいのだろうか」という不安と向き合いながら準備を重ねてきた何よりの証拠と言えるでしょう。
「作品を読むことはできるし、何となく感じ取られる雰囲気はあるけれど、目には見えない」――そんな文体を可視化できるようにしていくことは難しいことですが、世の中の様々な文章を読む際に「この文章はどのような文章なのだろう」という心構えができるので、漫然と読んで知った気になることを防ぐことができます。皆さんも、例えばもしお気に入りの作家がいるのだとしたら、自分はその作家の文章のどんな特徴に惹かれているのか、意識して読んでみると面白いかもしれません。
(学校教育学類:大谷 航)
発表内容について受講生同士で交流し、検討する