尚絅学院大学

人間心理学科 お知らせ

人間心理学科=人間学+心理学 [人間心理 上村]

2017/06/05

――「共生」を考える「人間学」――

人間学と心理学

 「人間心理学科」という名前は、「人間の心理」を学ぶ学科というふうに思われることが少なくない。たしかに「動物心理学」という学問分野もあるので、それと区別してこのような名前になっていると予想されるのは仕方ないのかなと思う。けれども、本学の「人間心理学科」という名前は、ただ「人間の心理」を学びますよ、ということを言うためにこのように名づけられたわけではない。この名は「人間学」と「心理学」の両方を学ぶということを意味している。「心理学」という言葉にはなんとなくイメージがあっても、「人間学」にはなじみのない人が多いかもしれない。
 人間は一人ひとり個性があって、考え方や感じ方はそれぞれ違う。けれども独りで生まれてきた人はいないので、だれでもどこかの共同体の中を生きていて、その共同体には独自の歴史や文化がある。そうした個々の人間を取り巻く環境は、その中で生きる人に少なくない影響を与えているし、またその環境自体も新しい個性や異なる文化と出会うことで、少しずつ変化している。いろいろな地域でそれぞれの時代にどのような環境があったのか、またそれがどのような思想や価値観を生み出してきたのか、そして私たちを取り巻く環境はどのような変遷を経て今に至っているのか、それは望ましいものなのかどうか、どうすればもっと良くなるか、そういったことを考えるのが「人間学」である。尚絅学院の建学の精神は「他者と共に生きる人間を育てる」であるから、本学の「人間学」も多様な個性をもつ人たち、異なる環境に生きる人びとが、どうすれば平和に共生できるかを探求している。

「監視カメラ」が監視する人

 平和に共生するためには犯罪者を社会から締め出すことが有効だ、そういう考え方もある。実際、現在の日本には町のいたるところに監視カメラが設置されている。監視カメラは犯罪抑止効果がありそうだし、犯人逮捕にも役立つように思われる。凶悪犯罪が頻繁に報道されているし、監視カメラがあれば安心な気がする。けれども、監視カメラが監視しているのはだれなのだろう。当然ながら、カメラのフレームに入る人すべてが監視されているのである。それは「私」であり「あなた」である。たまたま通り抜けた道の近くで犯罪があれば、「私」も「あなた」も容疑者の一人であり、私たちの知らないところで私たちは捜査されている。たまたま警察の思い描く犯人像と似ていたら、いつ事情聴取に呼ばれるかわからない。すべての人がつねに犯罪者予備軍として疑われている、それが監視カメラに溢れる国の人間理解なのである。日本は世界的には犯罪件数の少ない国として知られており、その犯罪件数も年々減っているにもかかわらず、監視カメラの設置数はどんどん増加している。

「テロ等準備罪(共謀罪)」法は平和をもたらすか?

 犯罪件数が減っているといっても世界的には「テロ事件」が増大しているし、日本でもいつ「テロ」が起きるかわからない。3年後には東京オリンピックが開催され、多くの外国人が日本を訪れる。世界中から多くの人が集まってくるのだから、「テロリスト」が紛れ込んでくるかもしれない。少なくとも「テロ」に対処する必要はあるのではないかと思う人もいるだろう。そのような名目のもとに現在国会で審議されているのが「テロ等準備罪(共謀罪)」法案である。この法案は「テロ等」と名づけられているように、「テロ」だけでなく、「著作権法違反」等も含む277の犯罪が対象となっている(政治家の犯罪は対象外)。
 この法律が施行されると、犯罪行為を行ってからではなく、犯罪の準備をしていると警察がみなした段階で逮捕できるという。犯罪を未然に防いでくれるということからすれば、とてもいいもの、必要な法律のような気がする。けれども、まだ実行されていない犯罪行為について、どうしたらその準備をしていることがわかるのだろう。
 それを知るためには二つの方法がある。一つは日ごろからおかしな考えを持ってる人がいないかすべての人の電話やメールなどをチェックして、怪しい人物を見つけておくことである。そんなことはできないと思うかもしれないが、実はそれはすでに行われていた。アメリカの情報機関(NSA)が全世界の電話やメールを盗聴、盗み見していたことが明らかになった(興味のある人は「スノーデン」で検索)。日本人に関する情報は日本政府に知らされる。スマホやパソコンのカメラをとおして、あなたの映像はアメリカの情報機関に盗み見られている。「監視カメラ」はすでに私たちが自分で持っていたのだ、自分自身を監視させるために。
 もう一つの方法は一般の人々からの通報である。近くに変な奴が住んでいる、あいつはアブナイ、そういった情報を市民が警察に密告し、あらかじめ拘束しておけば犯罪を未然に防ぐことができる。
 こうして犯罪の準備をしているかもしれない人を盗聴し、盗み見し、あらかじめ拘束する、そうした社会では犯罪が減るかもしれない。けれども、その人は犯罪を行う気はまったくなかったかもしれないし、ただ周りの人となかなかうまく溶け込めないだけだったかもしれないし、たんに生活習慣が周りの人と違うだけだったのかもしれない。あるいは通報した人がその人のことを嫌ってただけかもしれない。冤罪が増えそうだし、後に冤罪とわかったとしても、数日といえども警察に拘束されるのは面倒だ、それだけで周りから白い目で見られてしまう。なるべく人から疑われないようにおとなしく生きるのが身のためだ、思ったことをSNSやHPで発信したりするのも避けた方が賢明だ、警察とは仲良くしといた方が得策だから変な奴がいたらせっせと通報するよう心掛けたい。そんな人が増えたら社会はどうなるのだろう。知り合い以外はみんな「テロリスト」予備軍であり、あなたもまたあなたを知らない人からは「テロリストかもしれない」と思われている。社会に何か問題があると思って声を挙げようと思っても、目立ったら目をつけられ、何もしてないのに逮捕されるかもしれない。だれも信用できない社会、個性も多様性も認められない社会、全員が犯罪者予備軍として互いに監視しあう社会、それが犯罪者のいない「平和に共生」する社会なのだろうか。
 「テロ等準備罪」法案は、国家が国民を信用していないことを前提としている。それはこれからそうなるということではなく、すでにそうなのだ。だから監視カメラがあちこちに設置され、すべての人の電話やメール・カメラ画像が盗聴・盗み見されているのである。この法案が施行されると、そうした不信を国民の間にも広めることになる。「テロを防ぐため」という名目で、市民が互いに不信感を持ち、監視しあい、警察や国家権力に依存する。そんな社会はずいぶんと息が詰まるし、うんざりする人の中には「テロ」を起こそうと思う人も出てくるかもしれない。実際、「テロリスト」の多くは自国に不満を持っていた自国民が多い。「テロ」を起こさせないために国の取っている処置が「テロリスト」を生み出してしまう、それが海外で頻発している「テロ事件」の真相という一面もある。

「人間相互の関係を支配する崇高な理想」

 現行の日本国憲法の前文にはいわゆる「平和主義」が次のように書かれている。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 これは、国と国の戦争をなくすために日本国民はどのような手段を用いるかということを述べているのだが、その際、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」と言われている。国と国の関係を「人間相互の関係」という視点から見ようというのである。そしてその「人間相互の関係」には「崇高な理想」があるという。その「理想」とは、「平和を愛する」人々の「公正と信義に信頼」することである。ここには、人間相互の争いが「不信」に由来すること、戦争もまた国と国の「不信」から生じてくるものだという考えがある。そうであればこそ、むしろ相手を「信頼」することで争いをなくしていこうというのである(しかし、この憲法もあと数年で変えられてしまうかもしれない)。
 変わった個性を持つ人、異なる生活習慣を持つ人に対して、違いはあってもとりあえず人として互いに「信頼」できると思って生きて行こうとする社会、ときにはその「信頼」は裏切られてしまうかもしれないけれど、それでも多くの人は「信頼」できるし、だから自分も「信頼」されている、その「信頼」に応えていろんな人と共生しようと思って生活するのと、周りはみんなアブナイ奴ばかりだと互いに監視しあい、「不信」と不安に満ちた日々を送るのと、どちらが「平和に共生」する社会だろう。どちらが「テロ」を未然に防ぐ社会になるだろう。
そんなことを考えるのも「人間学」の課題の一つである。

文責: 人間心理学科 教授 上村 静

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