尚絅学院大学

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宗教主任メッセージ~聖書の言葉、祈り、「感染症とキリスト教」についてのコラム~

2020/04/10


主の御名を賛美いたします。
新年度を迎えましたが、新型コロナウイルスの影響により、予定変更を余儀なくされ、疲労や不安(特に学生たちの健康や学びについて)などが見られるように感じます。ウイルスとの戦いは単に医療的なものだけではなく、経済、教育、生活、心などすべての分野において、世界に重大な影響を及ぼしています。病気に苦しむ患者の方々、心配する家族、医療従事者、政策を担う政治家や担当者などのために尚絅学院の一同が心を一つにして祈りたいと思います。
私たちの尚絅はキリスト教の伝統を持ち、このようなときこそ聖書の言葉や祈りによって、この局面を共に乗り越えることが大切であると考えます。

<聖書>
「イエスが山から下りられると、大勢の群衆が付いて来た。すると、規定の病を患っている人が近寄り、ひれ伏して、『主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『私は望む。清くなれ』と言われると、たちまち規定の病は清められた。イエスは彼に言われた。『誰にも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。』」(マタイによる福音書8章1~4節<感染病とキリスト教①>をお読みください。)

今日は、キリスト教の暦では主イエスが十字架にかかって死なれた「受難日(聖金曜日)」と呼ばれる日です。
聖書には主イエスは私たちが経験する苦難をすべて経験され、私たちの苦しみを良く理解してくださるお方であることが記されています(ヘブライ人への手紙4章14~16節)。私たちが抱える苦難や疲労、不安もすでに主イエスによって知られているものであり、周りのだれもがそれらを理解してくれない時であっても、主イエスだけはそれを知り、憐れんでくださるのです。

4月12日(日)は、イースター(復活祭)です。主イエスが私たちの苦難の極みである死を打ち砕き、復活され、どのような苦難の先にも希望があることが示されたキリスト教最大の祝祭日です。ぜひ、この人類の危機とも呼ばれる感染症との戦いの先にも確かな希望を望みつつ共 に歩みを進めていきたいと願います。

主にありて
宗教主任 田所義郎

宗教主任コラム<感染症とキリスト教①>

聖書においても感染症についての話題が多く納められています。
旧約聖書では、各症状に対する対処法が示され、祭司は、患者の症状を見て、罹患や完治の判断をする役割も担っていました。そして、特に病人には身を清めることが勧められていました(その他、病人や死人と接した際も身を清めることが義務付けられています)。手の洗い方については、まだウイルスなどの存在が知られていない時代に、現在私たちに奨励されているものとあまり変わらない方法が教えられていることに驚かされます(レビ記13~15章など)。  

現在でもユダヤ人は手洗いの習慣を厳格に守っているそうで、Youtubeでラビが手洗いの仕方を動画配信しています。その説明によると、水は汚染されていない水源から汲んで来たものを使用し(水の量は最低、中くらいの卵1.5個分の体積に相当する量必要)、利き手の手首から指先までまんべんなく水を注ぎ、次に反対の手を同様に清め、それを二回繰り返します。そして「我らの神、王の王、世界を支配されるお方、主は私たちを祝福されるために、この手洗いの戒めを与えられた。」と祈りの言葉を唱え、それ以外は手洗い中には一切しゃべってはなりません(今、子どもたちは手洗いの歌などを歌い、まんべんなく、十分に洗うように指導されていますが、その姿と重なります)。ユダヤ人は、歴史上でペストの流行が起こった際もこれらの習慣が幸いしてか、共同体内での蔓延を免れたとも言われています。

また、新約聖書では、ハンセン病が人々に恐れられていた様子がたびたび描かれています。しかし、主イエスは旧約聖書の病人の隔離や身を清めることにではなく、社会から疎外された患者にこそ関心を示し、それらの人々のもとに出かけて行き、相手に触れ、癒されたということが記されています(マタイによる福音書8章1~4節)。このことからキリスト教では感染症は恐れの対象ではなく、愛や奉仕の対象とされていることが分かります。

聖書の感染病に対する姿勢は明確のように思います。旧約聖書には、非常に実際的な対処法が語られ、共同体の安全を守るうえでこれらの事柄が厳格に守られることを求めています。また、新約聖書では、それらを厳格に守り過ぎた弊害として、はじき出されてしまった弱い人々への主イエスの憐み深いフォローがなされ、それらの救いに与った人々が再び共同体の一員として復帰する様が描かれています。
今、私たちにはこの感染症に対する正しい知識に基づき、その対策を良く練り、それぞれが所属する共同体(職場、家庭、町内会など)の人々、また世界のすべての人々と共に感染拡大防止に真摯に取り組むこと、そして同時に一人一人が互いをかけがえのない存在として尊び、支援を必要としている人がいるならば原則を越えてをもそれを行う愛こそが求められていること、これらのことが実現するときに再び私たちの心と社会に平安が訪れるのではないでしょうか。