礼拝と宗教行事

『アウシュヴィッツ平和博物館』スタディ・バスツアー報告

2017/07/31

■□ 2017年7月1日(土) □■
 『アウシュヴィッツ平和博物館』(福島県白河市)



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【報告】

 内容としては、ツアー名の通り、アウシュヴィッツ平和博物館に訪問するというものだったが、同じ敷地内にアンネフランク・ギャラリ、原発災害情報センターがあった。アンネフランクに関して言えば、戦時中、自らの思いを綴った「アンネの日記」が世界的に有名である。そういう意味でも、アウシュヴィッツ平和博物館との関係性を感じとることができる。しかし、原発災害情報センターにおいては、あまり関連度が無いように思えた。
 主となったアウシュヴィッツ平和博物館については、初めにアウシュヴィッツとは何か、という点を含んだビデオを鑑賞した。その内容は、初めて知った訳ではなかったが、改めて「命の尊厳」を考えさせられるものだった。ユダヤ人である、という理由だけで、人間の扱いをされない、死ぬまで労働をさせられ、使いものにならなくなった人間、SS(強制収容所に常駐している軍人)に逆らった者は容赦なく殺されるそこの空間には、SS以外の者に人権は与えられていなかった。
 そのビデオを鑑賞した第1展示棟内には、当時ユダヤ人に使用されていた制服や、女性から実際に刈りとった髪でつくった鞄など、言葉無しでも悲惨さが伝わってくるものばかりが展示されていた。また、第3展示棟では、日常の記録を映像で残すことが厳しく制限されていた時代、子どもたちが描いた「記憶の絵」が展示されていた。自分の目の前で、銃で撃ち殺される父を描いたもの、親がSSに連れていかれるのを描いたもの、様々あったが、すべてに共通していた点は、一つの絵で、それについている一つの題名で、何を伝えたいのか、どんな状況だったのか、全部の情報が過不足なく入ってくる点である。子どもの描いた絵と聞けば、どこかしらに欠落している箇所が存在するものだが、それが一切なかった。当時の残酷さが容易にうかがえた。
 アウシュヴィッツ、アンネフランクに関するすべての展示を見て考えたことは、第一に、150万余の尊い命を犠牲にして、ナチスドイツは何を得たのか、ということである。また、付髄して、人間の命以上の価値あるもの、尊いものがこの世に存在するのか、という点も挙げられた。そこで簡易的に自らの中で導き出された答えは、人間の命以上に尊いものはこの世に存在せず、と同時に、無意味になんの罪も犯していない人間を殺す、このこと以上に悲惨なことも存在しないということである。現在もなお、戦争は行われており、日々多くの命が消えていく。悲しいことに人間を殺すために人間が身を削っているのだ。
 今回のツアーを通して、改めて命の尊厳を感じさせられたことは言うまでもない。自分に何ができるのかと考えたが、自分の力では何もできないことを悟った。唯一できることがあるとすれば、過去にこんなにも悲惨な出来事が起きたのだという現実を風化させないことである。どこまで考えても、当事者の感情を知ることは不可能だが、寄りそう努力を継続することは可能である、と私は考えた。

人間心理学科2年 菅井悠太